米国 Google がオンライン地図サービス「Google Maps(Google マップ)」で提供している「ストリートビュー」は、便利な機能だ。地図上で特定の場所を指定すると、その地点から周囲を仮想的に見回すことができる。地図だけだと得られない情報が提示されるので、初めて行くレストランへの道のりを確める場合などに役立つ。ストリートビューの対象範囲は、都会にとどまらない。屋久島軍艦島南極点エベレスト海中にだって“行く”ことができる。そう、まるで現場に立っているような臨場感が味わえるのだ。

そして Google は、このストリートビュー技術を「デジタルアーカイブ」手段として、東日本大震災の記憶を保存/公開/共有する活動「未来へのキオク」にも適用し、甚大な被害を記録した画像に生々しさを与えた。例えば、震災遺構津波で被害を受けた地域原発事故の被害を被っている浪江町の画像を見ると、現地を訪れたかのように胸騒ぎを覚える。

被災地での撮影は、通常の市街地で行う作業と異なる苦労や困難があるのではないだろうか。インターネットコムは、Google が被災地の撮影範囲を広げるタイミングに合わせ、担当者に話を伺った。インタビューには、Google グループ プロダクト マネージャーで、グローバルにストリートビュー製品の責任者を務める河合敬一氏と、日本国内のストリートビュー撮影オペレーションを担当しているストリートビュー プログラム マネージャーである大倉若葉氏の2名が応じてくれた。

震災被災地をストリートビューで記録/応援する Google、これまでの経緯と今後を担当者に聞く
大倉氏(左)と、マウンテンビューからビデオ会議で参加してくれた河合氏(右画面内)
河合氏は「(今回の取り組みのおかげで)仕事の内容を両親にやっと理解してもらえた」と笑う


【震災直後から考えていたストリートビューの活用】

今回の震災、それにともなう津波、原発事故は、広大な地域に大きな被害をもたらした。さらに、日本には底力があって復旧が思ったより早く進み、甚大な被害が忘れられかねない。ところが、被災地全体をカバーすることは、限られた数のカメラやジャーナリスト、テレビ局などでは不可能だろう。だが、一度に大量の写真を撮影して整理/提示できるストリートビュー技術が存在するではないか、これを活用してほしいとの声が聞かれるようになった。Google はそれに応えたのである。

Google が被災地でストリートビューの撮影を開始したのは、震災発生から約4か月後の7月頭だ。何事にも動きが素早く、各種サービスをβ版の段階で次々と繰り出す同社にしては、対応が遅いように感じる。

ストリートビューで震災の被害を記録する構想は、当然のことながら震災直後からあった。もっとも、その時点では通行止め区間があるなど撮影用の自動車を動かすことが難しく、現地ではガソリンが不足していた。撮影担当者の安全確保も困難だ。第一、救護活動を行っている方々の邪魔になる恐れもある。そこで、現実的でないとして一時棚上げにし、5月の連休が明けたころ改めて検討を開始し、実行へ移した。

津波の被害を受けた宮城県気仙沼市
津波の被害を受けた宮城県気仙沼市


【ずっと心残りだった被災地域】

Google は、まず津波の被害が大きかった沿岸地域の撮影を行い、被災施設の外観および内部を「おみせフォト」と同じ技術を活用して撮影公開するなど、カバーする範囲を段階的に拡げていった。そして範囲拡大を進めつつ、今度は復興に向けて Google ができることがもっとあるのではないだろうかと、2012年秋くらいから考え始めた。

浪江町立請戸小学校の講堂
浪江町立請戸小学校の講堂


最初にやろうと思ったことは、いろいろな自治体と話しながら思い至った「福島の今を伝えること」と、原発事故の被害を被っている地域の撮影だ。とりわけ後者については、活動を始めた段階で放射線の問題があって撮影できず「ずっと心残りだった」。この Google の想いは、浪江町の町長である馬場有氏が「意気に感じてくれた」。こうして計画が進み出し、2013年3月に撮影を始められた

撮影開始当初「ストリートビューの撮影には数週間程度かかり、数か月後に公開する予定」としていたが、蓋を開けてみたら1か月もかからず、なんと3月中に画像公開が実現できた。被災地特有の人や自動車がほとんど写らない状況から顔やナンバープレートをマスキングする手間が少なく、加工が短時間で済んだのかと思ったが、手間は普段と変わらなかった。

これについては、早く公開してほしいと希望する人が多く、その気持ちを受け止めた Google の担当者たちが休みを返上してまで作業した効果が大きいという。さらに、Google マップとストリートビューは巨大な仕組みであり、細かい問題が起きることは常なのだが、今回はスムーズにトラブルが解決できて運よくシステムがうまく動いた幸運もあった。

なお、基本的にストリートビューの撮影作業は、土地勘などの面で地元の方々に手伝ってもらうことが多い。今回は、町役場から紹介され、「ぜひやりたい」と答えてくれた地元のタクシー会社が担当した。この会社は、震災直後に追い打ちのような全町避難を迫られた際にも快く手伝ってくれた企業でもある。

浪江町を撮影中のようす
浪江町を撮影中のようす


【好意的に受け止めてくれた地元の方々】

悲惨な被害を白日にさらすことで地元の方の気持ちを傷つけるのではないだろうか、結果的に再建の邪魔をしてしまうのではないだろうか。河合氏と大倉氏は、撮影を始めるまで悩むこともあったと話す。しかし、被害の実態を後生に残すことは何よりも大切な仕事、と応援する声が多く、踏み切ったとしている。

浪江町の津波被害を受けた地域
浪江町の津波被害を受けた地域


河合氏の出身地は仙台。現在もご両親は仙台在住で、お母様が運営している料理教室には相馬地方から通っていた人もいた。そうした方々からは、「家の周りをやってくれたのね」と感謝の言葉をもらえたそうだ。現在の仙台には各地から避難してきた方が大勢おり、「仙台が負けたら東北が負ける」「仙台が被災地を支えていこう」との気持ちが強いらしい。

大倉氏は、沿岸部の撮影に対して反感を買うのでないかと不安だったが、実際には撮影車を見かけて応援の声をかけてくれる人や、作業者におにぎりをくれた人までいたとのエピソードを紹介。放射線の問題で厳しい状況に置かれている浪江町も町の方々も協力的で、「町民が見たいと言っているのだ」という意見に後押しされたとした。

被害のようすを見るとショックを受けるので見せられたくないと耳にするが、Google にネガティブなフィードバックは来ておらず、たいへん好意的な感想ばかりだという。

特に、浪江町の方は一時帰宅の手続きが大変でなかなか戻れなかったこともあり、突然の全町避難から2年ものあいだ自分の家や学校を見られない人までいる。そのような人々からは「バーチャルとはいえ故郷に戻れた。素晴らしい」との評価があった。この浪江町のストリートビュー画像公開の話題は国内だけでなく世界中のメディアが取り上げられ、福島の現状を世界に伝えた点でも意義深い活動といえる。

【これからも止めないこと、逃げないことが大切】

浪江町の馬場氏がストリートビュー撮影について語ったビデオには、「同じ状況にある双葉町、大熊町、富岡町の作成もお願いします」「富岡もやってくれたら嬉しいなあ」といったコメントが寄せられた。そこで今後の計画を河合氏と大倉氏に質問したところ、浪江町だけで終わりではないと答えた。どういうタイミングでどうやっていくかは自治体と相談していく必要があるものの、出来る限りのことをやりたいと述べてくれた。

浪江町の撮影開始について語る町長の馬場氏


そのうえで震災から3年目になった今、復興のフェーズに入った状況の記録も続けなければならないと考え、河合氏は「止めないこと、逃げないことが大切。丁寧に続けていきたい」と語った。そして、自治体の協力を得ながら展開しているデジタル アーカイブ活動が先例となり、「Google がやったしな」と思ってもらえれば、関わってもらえる企業にが増えるのではないかと効果を期待する。

このような基本姿勢にもとづき、Google は続く具体的な取り組みとして津波被災地域の「復興に向かうようすを記録」するストリートビュー画像の撮影と、経済復興を支援するクラウド マッチング プロジェクト「イノベーション東北」を開始した。

イノベーション東北ロゴ
イノベーション東北ロゴ


これからも Google はさまざまな形で被災地の記録や支援に関わっていくだろう。インターネットコムは、随時 Google の取り組みを紹介することでその活動を応援していきたい。