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SourceForgeのサクセスストーリー

James Maguire
2008年2月29日 / 10:00
 
 

SourceForgeの発端

 1999年の秋、世間はフィーバーの様相を呈していた。ドットコム熱は大いに盛り上がり、まるで狂気の沙汰であった。そして、それが最後のフィーバーになった。

 VA Linuxは波に乗っていた。この会社は1993年に設立され、古い(そして割高な)Unixコンピュータに取って代わる、プレインストールのLinuxコンピュータの販売でまずまずの利益を上げていた。DellやIBMといった大手はまだこの市場に本腰を入れていなかったので、VA Linuxのような小さなベンダでも一儲けすることができたのだ。

 その結果、VA Linuxの新規株式公開への期待が高まった。同社が12月に上場すると(シンボル:LNUX)、株価は1日で30ドルから240ドル近くまで高騰した。なんと700%のリターンである。この大儲けに先立ち、同社は1つの(驚くほど楽天的な)構想を持っていた。

 同社はオープンソースソフトウェア開発者の成果をホストするWebサイトを立ち上げることにしたのだ。このサイトはCVS(Concurrent Versioning System)からバグトラッカーやメーリングリストに至るまで、すべての必要なツールを提供するものであった。しかも、このサイトは(1999年の構想では)完全に無料であった。

 このサイトがどうやって経費をまかなうのかは、おそらく十分に考えられていたわけではないだろう。無償で仕事をする人たちに無料のサービスを提供するなんて、およそ儲かるビジネスとは思えない。でも心配ないさ。テクノロジーを扱っていればきっと利益はついてくるだろう――という調子だったのではないか。

 (実際、この会社は2006年まで利益をひねり出すことはなかった。しかし、それはまだ先の話である。)

 VA Linuxの経営陣はいくつかの名称を考えた。一時は「Cold Storage」という名称が検討されたこともあった。このサイトはOSSプロジェクトのアーカイブを指向していた。そして、最終的に選ばれたのが「SourceForge」である。

 SourceForgeのコミュニティマネージャを務めるRoss Turk氏は次のように回想する。「彼らは7人の男を一部屋に集めてこう言った。『我々のためにSourceForgeを書いてくれ。君達にはマウンテンデューとピザを支給しよう』とね」。その開発者たちは完成したプロジェクトがどれだけ必要なのか確信を持てないまま、ソーダをがぶ飲みしながら数週間にわたってコードを作り続けた。

 1999年11月にサイトがオープンしたとき、まずまずの伸びなら立派なものだと言えた。当時、「オープンソース」という言葉は一部の専門的知識をもつ人たちにしか知られていなかったからだ。このサイトは多数のフリーツールを提供したのだが、その年の終わりまでに登録されたプロジェクトは少数であった。

 そんな状況はすぐに変化した。SourceForgeには、2000年の終わりまでに数千のプロジェクトが登録され、2001年の終わりまでに3万近くのプロジェクトが登録された。そして次の年から洪水が始まった。2002年から「1日に100個のプロジェクトが追加されている」とTurk氏は言う。

 2007年現在、SourceForgeはオープンソース開発者のだだっ広い宇宙と化しており、大勢のソフトウェアクリエータたちが活発な活動を繰り広げている。そこには15万ほどのプロジェクトがあり(そして今も増大し続けている)、考えられるありとあらゆるコンピューティング機能がカバーされている。

 そして、活気のある有望なオープンソースプロジェクトにとって、SourceForgeは「見たり見られたり」する場だという点も重要だ。そこでは、開発者同士がおしゃべりしたり、情報交換したり、親しく交際したり、自分の持ち物を見せびらかしたり、お互いのビルドを調べたりしている。SourceForgeはJavaやPHPやPerlの次の行を書きたくてたまらないコーディング狂のグローバルなコミュニティである。

 もちろん、開発者用のリポジトリは他にもある。たとえば、Free Software FoundationがホストしているGNU SavannahNovell Forge、ドイツ政府が資金を提供しているBerliOSなどがある。しかし、SourceForgeほどの規模に達しているものは存在しない。SourceForgeは160万人の登録ユーザーを抱えているのだ。

 珍しいことに、このコミュニティの構成員はほとんどボランティアである。そこに集まる開発者たちの動機は、主にコーディングする喜びや楽しさにある(その一方で、自分自身の市場性を高めたいと思っている者もいるだろう。人目を引くようなプロジェクトの開発に携われば、自分を売り込むのに役立つ)。とはいえ、このフリーソフトウェアは多くの商業用途に非常に頻繁に使われている。

 SourceForgeは、たとえば成長株のOpenBravo(主としてスペインの開発者によって書かれたWebベースのERPアプリケーション)や、Inkscape(米国とヨーロッパの7人のチームによって書かれた、Linux、Windows、およびOSX対応のベクタグラフィックスエディタ)、FreeCol(Civilizationのようなゲームで、その目的は独立国家を始めることにある)などのホームになっている。

 プロジェクトによって知名度はさまざまだ。あまり知られていないプロジェクトとしては、たとえばTabsliderがある。TabsliderではMP3ファイルに同期してタブファイルを(ギター上で)スライドすることができる。よく知られたものとしては、Galleryなどがある。Galleryは自分の家族のWebページに写真を投稿するのに便利だ。

 また、SourceForgeで生まれて大躍進したものもある。Zimbraは近ごろ3億5千万ドルでYahooに買収されたが、もともとはSourceForgeのプロジェクトとして発足したものである。今ではRed Hatが所有するJBossも同様である。SugarCRMは2004年4月にSourceForgeのプロジェクトとして船出したものだが、ベンチャーキャピタルで2,600万ドルを得た。SugarCRMの顧客リストにはStarbucksやNASAも含まれている。

 このような成功を育ててきたにもかかわらず、SourceForgeは相変わらず初心者(というよりソフトウェア開発について学びたいと思っているほぼすべての人たち)に門戸を開いている。たとえば、最近のフォーラムに次のような投稿があった。

 「今このサイトに加入したところです。助言を求めてフォーラムにやって来ました...プログラミングを始めたいのです。仕事に役立つかもしれないと思って...」

 それに対して何人かのベテランが意見を返し(SourceForgeに引っ込み思案は誰もいない)、まずどんなプログラミング言語を習い、どんな本を読んだらよいかをアドバイスしていた。「PHPから入るのは絶対にやめるべきだ。PHPはよくない...」とか「VBはよしたほうがよい。君の役には立たない...」といった具合だ。

SourceForge不遇の時代

 急速な成功によってSourceForgeに問題が生じた。何万人もの開発者が集まったため、サイトの収容能力が追いつかなくなり始めたのだ。幻滅を感じるようになった開発者もいた。しかも、財政難の親会社には、すべての穴を塞ぐだけの資金がなかった。

 実際、VA Linuxの収入は急速に消えつつあった。ドットコムの時代は過ぎ去ったのだ。企業国家アメリカはLinuxが経費削減になるとに気づいたため、IBMやHPはLinuxコンピュータの販売でかなりの利益を上げるようになったが、VA Linuxのような小さなベンダは太刀打ちできなかった。VA Linuxは自らを改革すべく奮闘していた。

 同社は社名をVA Softwareに変更し、SourceForgeのEnterprise Editionを売り出した(Enterprise Editionはクローズドソースだったので、SourceForgeコミュニティでかなり不満が噴出した)。さらに、VA Softwareは多数のメディア――Linux.comIT Managers JournalNewsforgeFreshmeat、そして無修正の意見の集積であるSlashdot――の育成や買収も行った。最近、VA SoftwareはEnterprise EditionをCollabNetに売却し、2007年3月に社名をSourceForge, Inc.に変更した。

 しかし、同社が収入の安定を模索するなかで、SourceForgeサイトは資金不足に苦しんでいた。開発者たちの不満の声が高まり、大合唱になった。

 「2003年から2005年までの時期が悲惨だった」とAudacityの創始者であるDominic Mazzoni氏は回想する(Audacityは何千万回ものダウンロード数を誇る有名なオーディオソフトウェア)。「SourceForgeのCVSサーバーは猛烈に遅くなっていった。サイトのごく基本的なところが完全に破綻して、その状態が長期間続いていたのに、何の断りもないまま放置されていた」。

 Galleryの創始者であるBharat Mediratta氏は、自分のプロジェクトでの問題を次のように回想する。「プロジェクトがだんだん大きくなって、複雑かつ高度になるにつれて、SourceForgeは我々のニーズに合わなくなっていった」。特にサイトのフォーラムの機能が不十分だと感じたため、自分自身のサイトでフォーラムを作る気になったそうだ。

 深刻な問題の1つが、ダウンロード数をカウントするサイトのトラッカーが機能しなかったことだ。「そのことで大勢の人が迷惑を被った」とMazzoni氏は語る。「そんな馬鹿なと思うかもしれないが、お金をもらっていないプロジェクトでは、ダウンロード数の統計情報が通貨的な価値を持つこともあるんだ」。

 スタッフ不足のせいで、こうした問題に取り組むのはほとんど不可能な状況だった。この肥大したサイトは、何十万人ものユーザーにサービスを提供しているにもかかわらず、わずか3〜5人のスタッフで運営されていた。SourceForgeのRoss Turk氏は次のように語る。「彼らが処理しなければならなかった仕事量の増大を想像すると恐ろしくなる」。

 2005年か2006年のどこかでプロジェクト数が10万件を超えたとき、SourceForgeは岐路に立たされた。大規模な投資をするか、この初めての「オープンソース培養器」が衰退していくのを黙って見ているか、という選択である。進むか撤退するかを決めるときであった。

天の救い

 2006年2月に画期的な出来事があった。SourceForgeの親会社が初めて四半期利益を計上したのだ。この現金注入で会社の士気は高まったはずだ。少なくとも、SourceForgeの資金調達は容易になった。

 「資金が潤沢になり、人員を大幅に増やすことができた」とTurk氏は語り、スタッフが30人くらいまで増員されたと付け加えた。「資金とスタッフが増え始めたとき、我々が最初に注目したのは、インフラストラクチャがひどく老朽化しているということだった。そこで、ほとんどすべてのインフラストラクチャを系統的に交換した。以前によく発生していた信頼性の問題はもうほとんどないと思う」。

 Mazzoni氏はAudacityの開発チームを指揮しながら、変化が起きていることを感じた。「彼らはすっかり元に戻っていた。統計情報の問題を手直しし、規模を拡大し、Webサイトの大々的な改善に着手したのだ」。

 SourceForgeがGoogleと契約して、開発者たちがSourceForgeのページにAdSense広告を載せられるようになったことをMazzoni氏は喜んでいる。「あれはよかった。それまでは、SourceForgeを利用して広告収入をあきらめるか、それとも何から何まで自分でやって広告収入を得るか、という選択をしなければならない人たちが大勢いたからだ。そんな選択はもう必要なくなった。彼らは広告収入をSourceForgeと分け合い、コミュニティの一部になることができる」。

 サイトの改善で一番大きかったのは、2006年の初頭にSourceForgeがすべてのプロジェクトについてSubversionサポートを可能にしたことである。老朽化したCVSシステムをSubversionに代えたことは、開発者たちにとって一服の清涼剤となった。「我々がSubversionを発表すると、CVSを使っていた開発者の多くがSubversionに移行した。その結果、よりインテリジェントなワークフローが可能になった」とTurk氏は言う。

 GalleryのMediratta氏は、このアップグレードを大いに歓迎している。「Subversionは素晴らしい...この半年、実質的にまったく問題が起きていない」。Subversionと共に、新しいWebサーバーの導入、使用可能時間の向上、サービス監視機能の強化、検索機能の改善など、数々のインフラストラクチャ増強も行われた。

 サイトの技術インフラストラクチャは2006年に大きく進歩したが、それだけの理由でSourceForgeが今なお繁栄を続けているわけではない。SourceForgeが成功している真の理由は、サーバー性能や継続性といった次元を超えたところにある。SourceForgeの原動力は何といっても「人」なのである。

門戸開放

 SourceForgeの主要な開発者たちと話をすると、コミュニティの非常に開放的な雰囲気がわかる。

 一部の新しいプロジェクトに関しては、コントリビュートするのは簡単で、電子メールを送って協力の申し出をすればよい。珍しいことに、ダウンロード数が何百万にもなる非常に人気のあるプロジェクトでさえ、やる気のある新人なら歓迎しているところが多い。

 「我々のプロジェクトは能力主義」とGalleryのMediratta氏は説明する。「我々は開発チームへの参加方法を示したWebページを設けており、ここに来た人たちに課題を与える。それをやり遂げられれば、さらに2つの課題を与える。こうして実績を上げた人たちには、いずれ役割を与えることになる」。

 SourceForgeはオープンソースを複数のレベルで採用している。すなわち、ソフトウェアがオープンソースであり(コードを誰でも見ることができ、誰でも変更を加えることができる)、コミュニティのメンバシップもオープンである。

 「私は人々の参加をずっと歓迎し促してきた。というのも、このプロジェクトが大規模なものになると早くからわかっていたからだ」とAudacityのMazzoni氏は言う。彼はコーディングを手伝ってもらうためには統制をある程度緩める必要があることをよく心得ていた。

 「私は積極型のアプローチを採用した。つまり、まずは相手を信頼し、問題が生じたらその時点で対処するというものだ。すぐにCVSアクセスの権限を与え、『君が何かをチェックインするときは教えてくれ。そうすれば私が目を通すから』と伝えるわけだ。それでも、CVSアクセスの権限を取り消すはめになったことは一度もない。誰かが行った変更をロールバックしたことは一度や二度あるが、それは彼らがよく考えずにやったからだ。しかし、権限を乱用されたことはまったくない」。

 もちろん、今となっては、Audacityほどのプロジェクトでそのレベルの権限を獲得するにはもっと長い時間がかかるだろう。とはいえ、辞めさせられた者はいない。

 Mazzoni氏は次のように説明する。「誰かがやって来たら、我々はアイデアをいくつかぶつけ、ドキュメントを見るように言うが、十中八九は答えが出てこない。その人にとって難しすぎて歯が立たない問題だからだ。そういう人たちは、たいていプログラミング経験が1年くらいしかない。Audacityは初心者が始める場所としては不向きだ。このプロジェクトは150,000行のコードがあって、C++で書かれている。そんな複雑なプログラムは、まだプログラミングの基本概念で悪戦苦闘している人の手には負えないだろう。このプロジェクトには、それなりの練度がある人が必要だ」。

 「幸いなことに、そういう十中八九の人たちに払う努力は大したものではないし、残りの1人か2人はとても貴重な人材だ。パッチを作るとか、ごく簡単なことをやってもらえるからね」。彼らはそこから力をつけていく。

 「我々が開発のやり方を指図する必要はない。彼らはたいてい自分なりの考えを持っている。しかも、能力があれば、すぐにやり始めるものだ」。

 結局のところ、それがSourceForgeの成功の原動力と言える。それがコミュニティの力を引き出したのである。本当のコミュニティ、繁栄するコミュニティは、決して閉じたループではない。本当のコミュニティは、新しいアイデア、新しい概念、共有される入力、絶え間ない行ったり来たりを許容する。そうするうちに価値のあるもの(ソフトウェア)が生み出され、メンバたちに帰属意識が生まれる。コミュニティがそうしたことを行えるなら、そのコミュニティは必ず成功するだろう。

著者紹介

James Maguire(James Maguire)
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