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「人的資本」を育てよう 〜 経済評論家・山崎元のビジネス羅針盤

経済評論家 山崎 元
2012年2月3日 / 10:00
 
● 人的資本とは

経済分析やファイナンシャル・プランニングでよく出てくる概念に「人的資本」というものがある。これは、一言で喩えると「個人の株価」だ。

たとえば、あるファイナンス論の教科書では「経済学者は、将来の給与の現在価値のことを人的資本(human capital)と呼び・・・」(ツヴィ・ボディ、ロバート・C・マートン「現代ファイナンス論」大前恵一朗訳、ピアソン・エデュケーション、p190)といった調子で定義している。

将来受け取ることが期待される収入を、金利と収入に伴うリスクを勘案した上で、現在時点のものとして評価して、全て合計したものが人的資本だ。近い概念として生涯収入があるが、これは生涯に稼ぐ全収入を現在価値に割り引かずに単純合計したものだから、人的資本の方が予想生涯年収よりもかなり小さい。

人的資本では、同じ年収でも、近い将来の年収は大きく、遠い将来の収入は小さく評価するし、さらに、確実な年収は大きく、不確実な年収は小さく評価する。たとえば将来稼ぐであろう収入の合計が3億円のサラリーマンは、収入を得る時点や収入のリスクの大きさによって、人的資本が、2億円と評価される場合もあるし、1億5千万円と評価されることもある。

もっとも、そもそも誰しも将来の収入が正確に予想できるわけではないから、人的資本を正確に計算することは難しい。数値は厳密なものではない。しかし、役に立つ考え方なので覚えておいて欲しい。

● 人的資本の増減要因

人的資本の価値に影響する要因について、幾つか考えてみよう。

先ず、個人の年齢が上昇すると、人的資本は減少する傾向を持つ。これから稼ぐことが出来る期間が短くなるからだ。これは人間にとって重い事実だ。

高齢になり、リタイアすると、たとえば将来受け取る年金の割引現在価値が人的資本となるような場合が多いだろう。寿命に向かって人的資本は縮んでいく。

一方、若くて健康で安定した職に就いているビジネス・パーソンの人的資本の価値は、投資でいうと、株式よりも債券に近いくらい安定している場合が多い。この場合、たとえば、貯金は300万円しか持っていなくても、人的資本は2億円相当持っているというようなことがあり得る。そして、300万円の貯金は、全額株式に投資していても問題のない場合が多いだろう。たとえば、一年で株価が半値になったとしても、大きな人的資本を持っていて生活に与えるショックを吸収できるからだ。

お金の運用についてもう一言付け加えると、同じ貯蓄額で、同じ収入の人が複数いた場合、彼らにとって最適な運用内容は、彼ら一人一人の人的資本の状態によって異なるだろう。一律に同じプランを押しつけるのは不適当だ。だから、新聞やマネー誌でよくあるような、誰にでも同じ運用プランを勧める記事(しばしば円グラフ付の)は信用できない。

人的資本の価値が上昇するのは、転職などで収入見込みが改善した場合、個人のスキルの価値が上昇した場合、同じ収入見込みでも収入の安定性が増した場合、などだ。

人的資本が増加する場合で最も劇的な変化があるのは、転職によって今後の収入見込みが大きく改善する場合だろう。

今転職しなくても、個人の仕事上のスキルがパワーアップして高く評価されるようになれば、今後の収入見込みも改善するので、人的資本の価値が上昇することが多い。経済学の世界では、高等教育がどれだけ人的資本の価値を高める投資になるか、といった研究が何度も行われている。

また、将来の収入が同じ期待値であっても、収入が安定している方が人的資本の価値は高い。期待される生涯年収が同じなら、収入が不安定な民間企業に勤めるよりも、公務員になる方が人的資本の価値は大きいと評価されるだろう。ただでさえ安定志向の強い最近の若い世代の公務員志向を後押しするような話で恐縮だが、理論的にはそういうことだ。もっとも、10年、20年といった単位で物事を考えた場合、公務員が必ずしも安定していて且つ有利であるとは言い切れないと申し上げておく。

これらの場合のように人的資本の価値が増加することもあるが、人的資本は傾向として時間の経過と共に減少していく。時間と年齢に逆らって、人的資本の価値を高め続けていくことは、なかなか難しいことだ。貯蓄や投資は、人的資本の減少を補う備えでもある。

また、勤め先の業界や会社が不振に陥ったり、あるいは、本人が病気をしたりすることで、人的資本は急減することがある。もちろん、事故で死亡したりすればゼロになる。金融理論的な位置づけを考えるとすると、生命保険は、人的資本の価値のヘッジ手段だということになる。

● 若者にとっての人的資本

たとえば、定年退職を間近に控えた人の人的資本について考えるということも必要であり、興味深いのだが、ここでは、若い人の人的資本に話題を絞ろう。

先ず、若い人の人的資本の価値は、現在就いている仕事と、その仕事が当人にスキル・アップをもたらすかどうかによって大きく変動する。若い頃は収入自体はそう大きくないが、この時期に次のステップに進むことが出来る職業上のスキルを形成できるか否かがもたらす影響は非常に大きい。

また、若い人の人的資本は、教育投資によっても価値が増加し得るし、自分が時間を使って勉強したり、実際に仕事を経験したりといった、時間と努力の投資によっても成長させることが出来る。自分が時間と努力を投入する価値のある適職をなるべく早くに見つけることの価値は高い。もちろん、現在が適職でない場合には、貴重な勉強の時期の時間と経験を無駄にしないためにも、早く手を打つ方がいい。

このように考えると、近年の新卒者を中心とする若い世代の就職難は、この世代の人々の人的資本の価値の成長を大きく損なっているように思えて残念だ。

若い世代の就職難は、直接的には、厳しい経済環境下で、企業が新規採用を抑制することで主に国内の人員の削減・抑制を図っているからで、政府の雇用対策、デフレ対策などの不十分さに起因する側面も大きい。

もちろん、政府の政策は改善すべきだが、将来を現実的に予想すると、これが急に改善される見通しは殆どない。また、当事者としても、政府の対策を待っているばかりでは、経済的生活を改善できないだろう。

実生活では「政府が何もしてくれないという前提の下に、自分はどうするか?」と考えることが重要なのだが、既存のメディアにばかり触れていると、政府の批判と政府がやるべき事を述べて結論とする場合が多いので注意が必要だ。その先を考える習慣を持たなければならない。

● 人的資本への投資の例

あくまでも一つの考え方だが、こうした若者が人的資本の価値を上げるためには、たとえば「人的資本の国際投資」という手があるのではないだろうか。

まず、就職先を国内に限る必要はない。現在の若者の就職難の大きな原因は、日本企業が国内での設備投資や雇用を抑制し、ビジネスを海外に移していることにある。製造業では、今や、生産拠点だけでなく、開発拠点を海外に移すケースもあるし、長期的には本社機能を海外に移そうと思っている日本企業も少なくない。

これは、海外、特に新興国が、労働コストが低廉であることの他に、製品の需要地としても急拡大しているからだ。つまり、こうした国にはビジネスの成長チャンスが多い。この場合、たとえば投資するお金をたくさん持っていれば、海外の企業や海外に投資して収益を上げる日本企業に投資すればいいが、若者の多くは、投資して大きな意味を持つほどの資産を未だ形成していない。

ならば、自分が持っている資産のうち、人的資本を成長分野に投資するのが一つの戦略だろう。円に換算した給料は安くとも、現地の生活コストも安いし、何といってもビジネスが拡大する時期は、個人にとっても業績を挙げたり昇進したりするチャンスが大きい。後の起業のチャンスもある。そして、過去の日本の経験から見ても、成長する国の給料は通貨価値も含めて先行する諸国の水準に割合早く近づいていく。

完全に移住して外国で就職するのではなくとも、成長の可能性を大きく持った外国との関わりを持ち、外国の言葉が使えるとか、特定の外国について詳しく知っていて土地勘があるというようなスキルや知識は今後ビジネス上の価値が大きいはずでる。即ち、自分の人的資本の価値を向上させることにつながりやすい。

たとえば、新興国に進出しようとしている日本企業(最近は中小企業も多い)に就職して、新興国に関わるビジネスに携わることが出来れば、日本に近い給与水準を貰いながら、新興国に関連する知識や経験を蓄積することができる。

学生及び学生に準じる若い人には、最近の円高を利用して、新興国への貧乏旅行をやってみることをお勧めしたい。こうした国を実際に知るだけでも強味だし、何らかのビジネスに結びつけるチャンスを手繰り寄せるきっかけになるかも知れない。


【筆者紹介】
山崎 元(やまざき はじめ):経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員。58年北海道生まれ。81年東京大学経済学部卒。三菱商事、野村投信、住友信託銀行、メリルリンチ証券、山一證券、UFJ総研など12社を経て、現在、楽天証券経済研究所客員研究員、マイベンチマーク代表取締役。

※この記事は、リクルートエージェントのウェブサイト「ビジネス羅針盤」に掲載された内容をjapan.internet.com 編集部が再編集したものです。リクルートエージェントの転職支援サービスについては http://www.r-agent.co.jp/ をご覧ください。
 
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