米国 Apple は昨日、新型 iPhone とそれに搭載された多くのぱっとしない機能を発表した。ぱっとしない機能とは、大胆なプラスティックの使用、奇抜なカラ―、64ビット ARM チップ、高品質なカメラなどのことだ。

誤解しないで欲しい。これらの機能はどれも、それを必要としている人にとっては重要なものだ。だがスマートフォンの使い方を根本的に変えるほどのものではない。これらの機能が、人々の生活や文化を変えることはないのだ。

だが、Touch ID は違う。これは人々のスマートフォンの利用方法や、利用目的を根本的に変えてしまう可能性を持った技術だ。

ここでは、Touch ID がなぜ大きなニュースであり、大きな変化の始まりであるのか、その理由を述べよう。

Touch ID とは何か?

TouchID は、iPhone 5s のホームボタンに組み込まれた 500 ppi の指紋スキャナーだ。Touch ID を使用することで、iPhone をアンロックする際にパスコードの入力が不要となり、iTunes でのコンテンツ購入に Apple ID の入力が不要となる。

Apple は iPhone 5s で再び世界を変えていく ― そのカギとなるのは「TouchID」
iPhone 5s の新機能「Touch ID」

Touch ID を利用するには、指を iPhone のホームボタンの位置に置くだけでよい。ボタン周囲の金属リングが指を感知し、読み取りを開始する。スキャンするごとに、システムは利用者の指紋パターンを学び、認識精度は高まるという。

なぜ指紋認識システムはこれまで成功しなかったのか?

人々は、指紋認証を好まない。それには3つの理由がある。

第1の理由は、そのイメージの悪さだ。指紋情報の採取は、犯罪者に対して行われるものというイメージが定着している。人は罪に問われた場合に指紋を採取されるが、罪を犯していないものが指紋を採取されることはない。これが、この100年あまりの常識だった。

第2の理由は、ここ最近のプライバシー意識の高まりにある。我々は、プライバシーの侵害の時代に生きている。NSA によるプライバシー侵害の発覚は、一般の人々のプライバシー意識を高める原因となった。NSA が FBI の捜査対象でない人の通話記録を収集していたという事実が、人々を不快な気分にさせたからだ。

だが、通話記録が収集されたり、E メールが読まれたりすることより、指紋データが収集され、悪用されることの方が、事態はずっと深刻だ。例えば、誰かの指紋データがネット上に流出し、犯罪者集団がそのデータを入手してしまったとしたらどうだろう?その人の将来は、破壊されてしまうかもしれない。

第3の理由は、過去に発売された指紋認証システム搭載携帯電話が、ことごとく失敗したという事実だ。人々は、これらの製品の失敗により、指紋認証システムは役に立たないというイメージを持つようになった。

指紋センサーを搭載した携帯電話はこれまでもあった。その最初の1台は、Motorola の Atrix だ。だが Motorola は 後継の Atrix 2 では指紋認証機能を外した。誰もこの機能を利用しなかったからだ。

東芝は、指紋スキャナを搭載した Portege G900 と G500 を発売。日立も W51H を日本市場向けに発売した。

そしてこれらの製品は、すべて失敗に終わっている。

搭載された指紋認証システムに不具合があったわけではない。これらの製品では、2012年7月に Apple が買収し、Touch ID にも使用されている AuthenTec 社の技術が採用されていた。

失敗した理由は他にある。

指紋リーダーが使いづらい場所に設置されていたというのもその理由の1つだ。指紋リーダーは、携帯電話の背面や、二つ折り携帯の画面の下部など、指をあてにくい場所に設置されることが多かった。

また、指紋リーダーの用途も不明確だった。多くは、他人に自分の携帯電話を利用できないようにするというものだったが、それ以外の有効な利用方法を、各メーカーは打ち出せないでいた。

なぜ Apple の Touch ID は成功するのか?

Apple は、Touch ID でこれらの問題をすべて解決している。

Apple は、指紋リーダーを人気の高い iPhone のハイエンドモデルに搭載することで、指紋情報の採取に付き物だった、悪いイメージの払拭に成功した。

プライバシーに関しては、Apple はスキャンした指紋データを iPhone 内部だけで取り扱い、デバイス外部にアップロードすることはないと約束している。

そして何より、Apple は視覚的に魅力的なシステムを開発することで、「指紋認証システムは失敗するもの」という固定概念を覆すことにも成功したのだ。

Apple の Touch ID は、見た目がとても魅力的だ。指紋リーダー部分には、これまでの不格好な金属性のスロットではなく、レーザー加工されたサファイアクリスタルガラスが使用されている。そしてそれは、iPhone ユーザーが指を置きなれているホームボタンの位置に設置された。これにより、利用者は指紋センサー利用のために、新たな動作を学ぶ必要がなくなった。

美しいデザインを持つ Apple の Touch ID
美しいデザインを持つ Apple の Touch ID

Touch ID の用途も明確に打ち出されている。Apple は、iPhone をロック解除する際のパスコードの入力を、指紋認証で省略しようと提案している。ほぼすべての 5s ユーザーはこの機能の恩恵に与ることになるだろう。その数は、数億人にも上る。そしてこれは、指紋認証システムの経験者の数を飛躍的に増加させ、他のシステムで指紋認証システムが採用された場合の、利用者の受容性を高めることに貢献するはずだ。

実際、多くの企業がすでにスマートフォンへの指紋リーダーの組み込みに取り組んでいる。例えば、HTC の大画面スマートフォン HTC Max には、指紋リーダーが装備されるとうわさされている。

Apple が指紋リーダーを組み込んだ真の狙いとは何か?

パスコードの入力を省略できることは、iPhone ユーザーにとっては喜ばしいことだ。だが、それ自体は大したことではない。本当の大きな出来事は、その後に待っている。

時間を早送りして、すでに数億人が Touch ID を利用している世界を想像して欲しい。次に起こることは何だろうか?

私は、Apple が Touch ID を使ったクレジットカードの認証システムをスタートさせ、他のサイトでの支払いを可能にすると予測している。これが実現すれば、オンラインショッピングサイトで買い物をする際、クレジットカード番号や有効期限を入力し、請求先の住所やその他の情報を入力するという面倒な手続きがすべて不要となり、Touch ID を触れるだけになるのだ。それだけで決済が完了し、そして、Apple は決済金額の一部を手数料として取得できるようになる。

Apple はオンラインだけでなく、実店舗での決済にも Touch ID を利用可能にするだろう。Apple は NFC ではなく、近距離無線規格「Bluetooth Low Energy(低消費電力版 Bluetooth)」を採用すると考えられる。これは、「Bluetooth Smart」または「Bluetooth 4.0」とも呼ばれるものだ。

Apple は開発者向けカンファレンスで iOS 7 を発表した際、「iBeacons」と呼ばれる機能に触れていた。これは、店舗経営者がモール内などに設置可能な Bluetooth ステーションで、モール内を歩き回る顧客の iPhone をトラッキングして通信できるものだ。

iBeacons は、顧客に対して現在地に最も近い店舗の情報を提供するものだ。だが、商品の決済を可能にする技術を潜在的に持っている。これが実用化されれば、顧客は会計の長い行列に並ぶ必要がなくなる。iPhone の Touch ID で会計を済ませ、さっさと店舗を後にできるようになるのだ。

Touch ID が、我々の決済システムを変えていく

他のハンドセットメーカーやモバイル OS メーカーも、Apple の後を追って指紋認証システムを導入するだろう。様々な種類のオンラインおよびオフラインのプログラムが登場することになる。そして、現在我々が利用している認証システムや決済システムは、これによって大きく変化することになるはずだ。

そして、Apple はこの変化をもたらした先駆者として、独自の地位を獲得するだろう。

Touch ID の第一歩は、小さなものだ。それは Apple のハンドセットラインの1つに搭載された1機能に過ぎず、それが使えるのはデバイスのアンロックと、iTunes でのコンテンツ購入に限定されている。だが、Apple は指紋認証というこれまで誰も使いたがらなかったシステムを、魅力的で使いやすいシステムに作り替えることに成功したのだ。

この結果、何百万人もの人たちが、指紋認証システムを利用するようになり、やがては人々の決済行動までも変えてしまうことになるだろう。

Apple は、再び世界を変えようとしている。その変化は、Apple に巨大な利益をもたらすだけでなく、何百万人もの人々の日々の決済を便利で簡単なものにしてくれるはずだ。

Touch ID の持つ意味は、ピンク色をしたプラスティック製の iPhone よりも遥かに大きい。

Mike Elgan
Mike Elgan は、Elgan Media の CEO。internet.com の他、Computerworld、Cult of Mac などの IT 関連メディアに寄稿している。